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さいたま市北区プラザノースで開催中。初心者が安心して通えるサックス教室。
バップライフサックス教室 代表・テナーサックス奏者の髙橋浩明です。
2007年1月13日は世界中の彼のファンが深い悲しみに包まれました。テナーサックスの可能性を一気に引き上げ、一時代を駆け抜けたテナーマスター「マイケル・ブレッカー」。早いもので今年で没後17年になりました。
私は幸運にも!!今や伝説となってしまった「マイケル・ブレッカー」のクリニックとライブを体験することが出来ました。私の生徒の中には既に没後に彼の存在を知った人もいて、その時間の経過にビックリしています。
今回のblogでは私が観た!テナーサックス偉人伝vol.2 と、題して「マイケル・ブレッカー」がどんな人物だったか?私の感じた事を綴りたいと思います。
サックス奏者の聖地!? 現在の場所よりも、もっと大久保駅近くにあった頃の「石森管楽器」には大変お世話になりました。よく通い詰めていたので、馴染みの店員さんもいたりして!!
「何か目を引く楽器はないかな~~?」と、ぶらりと立ち寄ったある日のこと。そこには衝撃的なチラシが店内に貼ってありました
あの!!マイケル・ブレッカーがブルーノート東京でサックスクリニックを開催!!!
うわーーー!行きたーーーーーい!!!と、思ったのですが?やはり・・・・。満席とのことで、一気に意気消沈でした。
そんな私の落胆した後ろ姿見た、顔馴染みの店員Kさん。
「髙橋さん、もし、これに(クリニックに)行きたいのだったら石森管楽器の招待枠があるよーー!」
何という計らいでしょうか!!私が飛び上がって喜んだのは言うまでもありません。人との関わりは本当ーーに大切ですねーー♪
満を持して行った骨董通りにまだあったころの「ブルーノート東京」には、Liveでしか見る事のできない、日本を代表するミュージシャンが大集結(サックス奏者は勿論、様々なアーティスト)。既に熱気に包まれていました。
観客が固唾を飲んで待ちわびる中、姿を現したマイケル・ブレッカー。いきなり数曲吹き始めました。PAを通すことのない、彼の生の音は言葉では言い表すことが出来ません。そのくらい魅力的でした。(今日はリードの調子が良くないと言ってました)
クリニックの終盤、マイケル・ブレッカーに直接質問できる滅多にない機会が用意させていました。
私が最も印象に残っている質問をしたのは?・・・・私の現在の師匠!!若き日の三木俊雄さんでした。
Q:「早いフレーズを練習する効果的な方法(但しテンポを落とさずに)は?」・・・・
A:「とにかく練習あるのみ!!」?????
全く答えになってないよーーーー!!(笑)
私のマイケル・ブレッカーの話から受けた印象。彼はとにかく「練習の虫」であったこと。困難な出来事に出会ったとき、猛練習でそれを見事に克服し続けてきたんです。
どんな質問にも、最後は「練習!・練習!!(Practice!・Practice!!)」との、結論に。
天才「マイケル・ブレッカー」は様々な困難を猛練習で乗り越えてきた努力の人だったことが証明された瞬間でした。
きっとかなり、身体への影響が出るくらいの練習が自身に課せられたのでしょう。喉の不調から大幅にマウスピースやリードのセッティングを変えた経緯もクリニックでは語られました。
晩年の病「骨髄異形成症候群」や彼からその生命を奪った「白血病」の原因の一端はきっと私の想像を絶する練習時間がもたらしたのではないでしょうか?正にミスター「ストイック:マイケル・ブレッカー」
クリニックの数日後に行われたブルーノート東京での演奏は、超絶技巧をいとも簡単に吹き上げるマイケル・ブレッカーに開いた口が塞がらない状態でした。神業です。
「きっとコルトレーンが生きていたら?同じ様な印象であったのかなー?」と、感じずにはいられない程、刺激的なプレイでした
正直にお話すると、私は彼の音があまり好きではなかったので生前はあまり積極的に聞いてこなかったんです。ですが、今私は猛反省しています。だって今の自分が求める「音」は、間違えなくマイケル・ブレッカーの音だからです。
彼の残したあらゆる音源を聴きまくり、少しでもその素晴らしい音色に近づきたい!!ものです。あらためてご冥福をお祈り申し上げます。