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さいたま市北区プラザノースで開催中。初心者🔰が安心して通えるサックス教室。

バップライフサックス教室 代表・テナーサックス奏者の髙橋浩明です。https://bop-life.info/






今年で生誕150年のメモリアルイヤーの「モーリス・ラヴェル」

同時期に活躍した作曲家の「ジョージ・ガーシュイン」







2人は当時、新しく、華々しく登場した!?ばかりの「サックス」をオーケストラの編成に取り入れた!と、言う共通点があるだけでなく、お互いの交流もあり、「リスペクト」し、合っていた、記録が残っています。(冒頭の写真ピアノの前にいるのがラヴェル。右端がガーシュイン)


今回はこの二人に焦点を当て、私なりにオーケストラにサックスを取り入れた理由を探ってゆきたいと思います。(偶然にも没年が二人とも1937年であることが判明してびっくりしました。)







ジョゼフ・モーリスモリス・ラヴェル(Joseph Maurice Ravel )は1875年にフランス南西部で生まれる。







その以前から、フランスとイギリスの軍楽隊において使われるようになり瞬く間に使用されることになった、サックス。





ラヴェルが後に在籍することになる、現在もクラッシック音楽の最高教育機関「パリ音楽院」で、既に教育が盛んであったこの楽器に異変が!?起きていました。





1870年から1900年までサクソフォーンの教育が中断されたのです。





そんな中、サックスの発展のきっかけとなったのが、アメリカでのポピュラー音楽での需要だったのです。




その後を追うように、1920年代後半から1930年代初頭にかけて、クラシックサクソフォーンの近代化が始まり、サクソフォーンのためのクラシックのレパートリーが急速に拡大してゆきます。




ラヴェルの偉大な作曲群の中でも人気の高いバレー曲「ボレロ」はそんな時代背景の中、1928年に作曲された、壮大なスケールの曲。彼は、オーケストラのメロディーパートにサックス(テナーとソプラノ)を取り入れたのです。https://youtu.be/cmNEvSFWftc







オーケストレーションの天才管弦楽の魔術師」と、言われる、「ボレロ」での、サックスの起用は、むしろ自然な流れであったと、言えます。







ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)は、ラベルの誕生から23年後の1898年にニューヨーク(ブルックリン)に生まれました。




彼は何と!?独学でオーケストレーションを学び、いくつかの管弦楽作品を残しています。実は「ボレロ」が作られる4年前、1924年にサックスをオーケストラに取り入れた「ラプソディー・イン・ブルー」を作曲しています。https://youtu.be/chgK9FmtN_A?si=hmidE7ieWzo_1fZb





この頃、サックスはアメリカのポピュラー音楽にその存在感を示し始めていたのです。ジャズとクラッシックが融合する「ラプソディー・イン・ブルー」に、「サックス」は絶対に必要な楽器であったのです。








最後にオーケストレーションを学びたいと、年上のラヴェルにガーシュインが願い出た時のエピソード(逸話)をご紹介いたします。






「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」